椿りつの忘備録

椿りつの学びの記録や気づきをまとめたブログです。

令和のはじまり。

 

「令和」の年号が決まった日、長男が報告してくれました。最後の「和」が聞き取れなくて、レイ…何?と聞き返して初めて知った言葉が「令和」。漢字と発音を聞いたとたんに素敵なイメージがわぁっと拡がったのを憶えています。これはそのときに書き留めた印象で、出典の万葉集のことも、梅の花のある風景にも心を向けていなかったのです。けれど、後で聞いた色々な話が、私の初めの印象と合っているようで、面白かったり不思議だったり、なんだか嬉しかったりしていて、忘備録することにしました。

 


 「令和」は黎明、律令、静謐、といったイメージを連想させ、しずかな心になるのを感じる。多くの書類に記入することになる年号だから、心が落ち着く文字はとても心地よい。きっと手元で見ながら書き込むたびに、心を清冽な川の流れに沈めたように、引き締まる思いがすることだろう。

 

平和の「和」であるこの字は、この国、日本を表す字でもある。

 

そして、冷静、のイメージを喚起させる令の字は、同じ「和」の字を持つ昭和の時代にひとつに熱し、国全体が熱狂のうえに築いた自国の、そして他国のおびただしい犠牲を通観して横たわっている字に思える。そして、3.11をはじめとしたこの国の自然災害による犠牲や、生き残った私たちが時代を透過するためのレンズのようにも思える。冷静に。見通す目を養う時代。まるで字が、そう言語りかけてくるようだ。

 

令の音は礼の音ともつながり、しかし、令となった。律令の令でもあり、皆できめた決まり事を守り、そののちにこそ発する和をも連想させる。ここにもし窮屈さを感じるのであれば、それは心しておく手続きだ。

 

 けれども「和」の字の本来の意味にも気を留めておきたい。同音の「話」にもイメージを充ててくるこの字は、おしなべて熱狂とは別のところにある異なる考え方との鉱脈を、おたがいに探求しながら、静かな出会いを重ねる話し合いが求められる。そんな時代の様子を見越しているのだとも言える。

 

「令和」、この二つの文字列は、この国でどのように人を人たらしめるかという個人の姿勢に、しみ込むように影響を与えていくのだと思う。