椿りつの忘備録

椿りつの学びの記録や気づきをまとめたブログです。

3月17日 作家の高山羽根子さん朗読会@本の場所

 

 

 

朗読会は18:00から。

 

こんなにたくさんの人が来ている(!)と驚きながら入場された高山羽根子さん。1月に発行された『居た場所』のなかの『蝦蟇垂(がまだれ)』を朗読してくださいました。

 

『居た場所』を開きながら高山さんの声を聞き、作中の主人公の女性が淡々と料理していく過程を伺っていると、その出来上がっていく蝦蟇料理の品がとても美味しそうで、まるで目の前にあって今すぐにも食べられそう(!)こんなに美味しそうなら、朗読会のあとはこの食事を特別に再現した食べ物のお店で懇親会が開催されてもおかしくない。なんならその懇親会だけ目当てにくるひとがいてもおかしくないかもしれない、などと、勝手な妄想が膨らみます

 

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身の方はよく叩き、おろし生姜と併せてつみれ汁にすると臭みも消え体が温まり滋養がつく。このところ気温が乱れているので、疲れて気をぬくと風邪をひきやすくなるから具の多い温かな汁は夕餉の膳に欠かさない。味噌仕立てにしてもよいが、今日は香りの良いゆずの皮があるので葛粉で軽くとろみをつけた澄ましにする。

 

などが『蝦蟇垂』の中では特に美味しそうで、やけどしそうに熱いゆずの香りのおつゆをすするときの幸福感が、思わずふうふうしたくなるイメージで立ち上がります。そして、作品の最後のページでも、主人公の女性が献立を考え始め、味噌だれの香ばしい蝦蟇料理を想起していく様子が、まだ作中で作られてさえいないのに、やっぱり脳裏においしく浮かんできました。

 

読み返してみると、会話のなかにある話し方などから日本昔話に出てくる農家のような、囲炉裏のある部屋やその近くを流れる川で女性がお料理しているのを連想するのですが、それに対して川から眺めたが勤める観測所という研究施設が近代的な四角いコンクリートの建物として連想されて、作中のに、それぞれが所属する場所、世界を認識する手立てのちがい、なども象徴されている気がしてきました。

 

そして、「観測しなければ見ないでもすむのではないか」と考える女性の、シュレディンガーの猫みたいな不確定さに片足をのばしている雰囲気と、それでも蝦蟇を使ったこのお料理の、しっかり地に足がつけられているリアリティーのバランス。このバランスが、危なげなく安心して読者を離陸させてくれる配合なのだろうな。と思いました。

 

朗読後にしてくださったお話。

 

まず、制作工程を、公開してくださいました。

作品のある舞台となる地図を印刷したものや、イメージを象徴する絵、シーンなどをアメリカのドラマでシリアルキラーみたいな人が現場の地図などを貼るようにとても大きなスケッチブックに、まとめられていました。後ほど主催者の方も、TVドラマで犯人を捜索する側の人がつくる犯人のプロファイリングでもこういうのを作りますね、と捕捉されていましたが、まさにそんな感じのスケッチブックでした。この物語の地図をつくるまでの作業が30%くらいとのこと。ものによってはここまでが60%の作業になるそう。短編では50%くらいになるとのことです。ちなみに、この作業には、ネットもスマホも使われないとおっしっていました。

 

私も作品を起案するときにまず、イメージボードを作っていたのですが、イメージの断片をただ寄せ集めて配置しただけで、それぞれのイメージの関連性もなく、シーンごとにもしておらず、印象的な会話の断片を集めても、それをどうオーガナイズするか見えないまま、それでも何もないよりはと進め、そのまま作品もフラッグメントの集合と化していたので、その各絵を意味付けして物語としてまとめる作業がこういった形でできるということを知れたことが、とても大きかったです。

 

この物語の地図には、絵の他に、外出先などで書かれるという断片的な会話のシーンなどの文章も貼り付けられており、一度書き込んだ場所に、トレーシングペーパーのような付箋にさらに書き込みをして重ね、「一方その頃」など、同じ時間軸の違うところで行なわれている出来事なども追加されていくとのことでした。
高山さんがおっしゃるには、美術大学で絵を描かれていたとき、小下図大下図(こしたずおおしたず)、という日本画の軸ものではない大きい絵に下絵を描くときの手法を、この物語の地図にも使われたそうです。

 

日本画家には部屋の襖や天井の注文がくるそうなのですが、それは、小さいものを描いてそれを大きくする作業なのだそうです。、例えば鶴などを図案とすると、そのスケッチがまずあり、「壁に描いてください、襖に描いてください」と注文を受けてから、そのスケッチを拡大してそれを下図にする。人などだと群像図にする、とのこと。街中の小さい人たちを鳥瞰図で描くそうです。そこに置かれた街の人たちやその状況を複数描いていき、それを並べて一つの街にする、群像劇なのだそうです。

その方法を基本にされる高山さんの書き方はサーガにはなりにくく、「一方その頃」がたくさん続いていく、映画でいうとグランドホテル形式なのではないかということでした。

 

 

続いて、創作の動機についてのお話です。

小説を書くことを続けようと思った動機が、通っていた講座の先生であった編集者さんが「こんな感じで続けてみたなよ、書き続けてみなよ」とおっしゃったり、創元のSF短編集を編集した大森望先生からの賛辞だったため、編集者さんをリスペクトし、信頼を置いているそうです。初稿の手前の0稿や1,0稿と呼ぶ原稿を編集者さんに読んでいただく時は、その後のやりとりにも信頼を置いていて、そのことで世に出る原稿ができあがっていくこの過程をとても大切と思われているそうです。最近では直接読者とのやりとりのできるネットへの作品投稿や電子出版もあるけれど、編集者さんの介在がもっともっとあってもいいのではないかな、と思われているとのことでした。

 

(このお話については、わたしも深くうなずきました。しかし、これはもちろん、高山羽根子先生レベルの作品を書かれる方だからこそできるお話なのだと、胸に深く刻んでいます。私はゲンロン創作講座2期生として1年創作講座に通いましたが、本当に本当にお話を書こうとしても、まずまともな作品を書けない日々を送ってきていたうえ、編集者さんに貴重なお時間をいただいてアドヴァイスしていただいたにもかかわらず、思ったように作品として仕上げられない状態が続いていて、まずもってプロの編集者さんの貴重なお時間を使うこと自体がなんだか申し訳ない気がしてしまって。講座でお金を払って見ていただくのも申し訳なかったくらいの作品を、まずは見ていただけるくらいの実力をつけたり、商業化できるほどの話題を作成してから実践で実力をつけていく動機を得るために、KDPカクヨム投稿で鍛錬にはげむ、というのは、選択としてとても有効な方法なのではないかと感じています。)

 

その後、芥川龍之介の『奉公人の死』というお話を例に、作品の初読性、アウラを失わせない作品紹介はどうすればいいのかについて逡巡されている旨をお話されたり、ご自身の作品のテーマについてお話をされました。

作品を書かれる時、書き手として、10回読んだら10回違う物語が立ち上がってくるように。短編であったら3つか4つのテーマを作り、そのテーマが一つに収束されないように作られている、とのことでした。

 

また、高山作品の本質に迫る重要なお話だと思うのですが、

 

「主人公などに言いたいことを語らせすぎるのはコワい」とおっしゃっていました。

 

「自分の書くものとしてはどういう風に読んでも物語たりえるように。気をつけすぎるくらい気をつけても足りないのではないか?」
「最初に書き始めたことを書きおわり、あまりにも同じことを言いすぎていないか?ということに気をつけている。」そうです。

 

「徐々にいろんな要素が混ざる、読み始めたところと読み終わった時、全く違ったことを言っている人はいないように、全く同じことを言ってる人がいないように気をつけている。」

「言うことがブレちゃうとあまり良くない、という時代ではないですか。(けれど)一つの意見に自分の脳を集約させることのこわさ。人の脳ってブレる。ので、とっちらかったものをどうとっちらかったままであまり集約させすぎることなく物語として何らかのきちんと楽しむたり得る状態に持っていくのか、分類するのがさっきのスケッチブックで…」

 

「物語というのはあるていど整理は必要だけれど、同じことを言わないように、なんなら全く反対のことを言わせることで物語を離陸させる。最初のうちよりも最後にものすごい離陸をさせる。途中離陸してそこからスッと下げてみる。当社比で長い文章(100枚、200枚)だと徐々に読んでる人が気付かないくらいの離陸の仕方。もしくはずっとおさえておさえてすごく離陸して、またおさえておさえて。」

 

その他、起点はラストの絵を決めてから。や、ビジョンとして最初と最後の絵を作って、そこをつなげていく作業では、フィッシュボーンチャートの時間経過をイメージされていること、物語の最後は言い切らず、正解のないようにしていること、主人公を誰が読んでも自分と感じてもらいたいため、すごくフラットに作ろうとしていることなどもお話されていました。

 

 

そして、スペインの留学先で現地の学生さんに叱られたそうですが、日本にいて漫画とはご縁がなく、『AKIRA』や『新世紀エヴァンゲリオン』、ジブリ作品なども一切知らずに過ごされてきたとのこと。漫画よりは妹尾河童さんの旅のスケッチやダヴィンチの、絵を描いたとなりに絵で描けないことを文字で書く、そして文章で書けないようなことを絵で描く作品をよく見られていたそうです。映画には、とても影響されているそう。

大好きな映画である『フィールド・オブ・ドリームス』のような作品や、アピチャッポンの『ブンミおじさんの森』のような作品が描けたら、とおっしゃっていました。また、コーエン兄弟(であってるかしら?)が好きで、気持ちが沈むとDVDを見られているとおっしゃっていました。


●朗読会の最後

会の最後には、『本の場所』のオブジェ『本』の字の大きな立体に、高山さんがサインをされ、そのパフォーマンスの撮影をしました。


個人的にお話を伺いたかったことがあったのですが、サインの前にお邪魔してしまったのと、そのあとお知り合いの方とのお話がありそうだったので、そっと帰ってきました。
ご本人に朗読していただけた上、いろいろなお話が伺えて、とても参考になり、興味深かったです。

高山羽根子さん、主催された『本の場所』さん、どうもありがとうございました。